アヘン戦争のきっかけとなった紅茶人気の高まり

世界の歴史をふりかえってみると、紅茶がきっかけとなって起きた戦争がふたつあります。それは、アメリカ独立戦争とアヘン戦争です。このページでは、1840年におきたアヘン戦争についてみてみたいと思います。

イギリスの銀の国外流出

18世紀に、イギリスの紅茶の輸入量が増えていくにつれて、お茶の支払いにあてるための銀がどんどん国外に流出していきました。1750年頃になると、一年間で購入するお茶の量は何百万ポンドにもふくれあがり、英国人は支払いの三分の二を銀貨や銀塊で中国人に支払わなければなりませんでした。

イギリスはお茶とひきかえに、ブロードクロスという綿織物を充当しようとしました。しかし、それは当時の中国ではそれほど需要があるものではなく、中国はイギリスに対してあくまで銀を要求したのです。

アヘン戦争の勃発

Opium Wars, British Bombard Canton
Buy at AllPosters.com

19世紀に入って、イギリスにおける銀の貯蔵量は激減したので、銀の代わりの輸出品として考案されたのがインドのアヘンでした。その後、大量のインドのアヘンが中国に蔓延していき、1838年に、清朝政府はアヘンの禁止を発令しました。1839年の林則徐のアヘン厳禁の強行を契機として、1840年にとうとうアヘン戦争が勃発しました。イギリス軍は廈門(アモイ)、寧波(ニンポー)などを攻略していき、1842年には上海、鎮江(チンコウ)などをおとしました。中国はアヘン戦争に敗れて、1842年8月、南京条約が結ばれたのです。南京条約は清の不平等条約のさきがけともいえるものです。また、アヘン戦争の原因になったアヘン貿易については触れられていないというのがポイントです。

スポンサードリンク
ティークリッパーレース ティーバッグの歴史


HOME > 紅茶の歴史 > アヘン戦争のきっかけとなった紅茶人気の高まり
inserted by FC2 system