お茶は“薬”から“宮廷の飲み物”へ 

英国王室に嫁いだポルトガル王女

英国におけるお茶文化を考えるときに、はずせない人物といえば、ポルトガルのブラガンザ王家のキャサリンでしょう。キャサリン王女は、ポルトガルのジョンW世の娘であり、1662年に英国のチャールズU世と結婚しました。

キャサリン王女があらわれる前にも、お茶はオランダ人によって英国に紹介されていました。そして、コーヒーハウスでお茶が販売されていましたが、その頃、お茶は嗜好品としてのお茶というよりもむしろ、薬として販売されていたのです。

キャサリン王女にとって、お茶はお気に入りの飲み物でした。そして、お茶は貴族たちの間でしだいに広まっていきました。また、夫のチャールズU世が浮気者であったこともあり、寂しさをまぎらわせるためにキャサリン王女はお茶をたくさん飲んだという説もあります。

イギリス東インド会社に貿易独占権が与えられる

その頃、イギリス東インド会社はお茶を中国から輸入するだけの価値は無いと考えていました。しかし、英国内でお茶の人気はどんどん高まっていきました。1669年になると、オランダからのお茶を含むすべての輸入が禁止されて、イギリス東インド会社にお茶に対する貿易独占権が与えられます。その後、英国とオランダはお茶の貿易で競争していくことになるのです。イギリス東インド会社はマカオに製茶工場を確保し、東洋における最初の拠点を確立しました。

キャサリン王女がお茶を好んだことは、英国におけるお茶人気に拍車をかけました。もし男性がよく通っていたというコーヒーハウスで、お茶が飲まれていたとしたら、女性がお茶を飲む機会が少なかったでしょう。キャサリン王女がお茶を宮廷の飲み物として飲むことによって、お茶は当時の英国の上流階級の人々にとってのステータスシンボルになりました。1686年には、お茶は市場で販売されるようになり、イギリス東インド会社はお茶を正規の貿易品目に加えました。

ロンドンのティーハウスとティーガーデン

その後、ロンドンでティーハウスがオープンすると、より多くの女性たちがお茶に触れることになりました。女性たちは男性にエスコートされて、ティーハウスに行き、ティーハウスの洗練された空気を楽しみながらお茶を飲みました。

1730年代に入ると、ロンドンにはティーガーデンもできて、女性たちがお茶を楽しむ機会が益々増えていきました。ティーガーデンは野外にあって、演奏会があったり、ダンスを楽しむことができる娯楽施設でした。

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