トワイニング(Twinings)
トワイニングは英国の紅茶とコーヒーの会社です。アールグレイティーで最もよく知られています。
歴史のある会社であり、トワイニングは1706年にロンドンで設立されました。トワイニングは現在では国際的なブランドになっています。いまのところ、トワイニングの製品は100カ国以上で販売されています。
初期のトワイニング
トワイニング家は英国のグロスターシャー州の出身です。もともと、トワイニングは毛織物を扱う業者でした。
17世紀までに、トワイニング家は毛織物業者として成功していました。しかしながら、英国の経済が後退したために、1684年にトワイニング家はロンドンに移動しました。
トーマス・トワイニング 紅茶のビジネスを開始する
トーマス・トワイニングは1675年に生まれました。トワイニング一家がロンドンに引っ越したあとに、彼は父親のあとを継いで毛織物業の仕事をしました。
彼は毛織物業の仕事をやめた後、東インド会社に入りました。当時の東インド会社は世界で最も重要な輸出業者であり、また輸入業者でもありました。そして、東インド会社はエキゾチックな茶のような生産物を輸入していました。
東インド会社で働くうちに、トワイニングはさまざまな種類の茶を学んで、1706年までに、自分で商売を始めました。トワイニングはロンドンのストランド街に、コーヒーハウスである「トムの店」をオープンさせました。ストランド街に店を出したのは適切でした。というのは、この地域には「ロンドンの大火」のあと、貴族たちが住んでいたからです。
トワイニングとコーヒーハウス
トワイニングがコーヒーハウスをオープンした当時、ロンドンにはコーヒーハウスがたくさんありました。
商売の競争は激しいものでしたが、トワイニングは東インド会社で働いていたときの知恵を用いて、自分の商売の利点にしました。生き残るために、トワイニングは店のメニューとして良質な紅茶を提供したのです。
当時、紅茶を飲む習慣は貴族の中でもてはやされていました。トワイニングはすぐに、最良の紅茶を売る店という評判を得て、トワイニングの店は有名になっていきました。
トワイニングのビジネスの拡大
1741年にトーマス・トワイニングが死去して、息子のダニエルが跡を継ぎました。ダニエル・トワイニングは1749年にアメリカ合衆国に向けて紅茶を輸出しました。ボストン市長が彼の顧客の一人だったのです。
1762年にダニエル・トワイニングが死去すると、彼の妻のメアリーが次の社長になりました。
18世紀の半ば、英国には違法の紅茶があふれていました。これは紅茶にかけられた高い税金によるものでした。しかしながら、トワイニングは密輸された紅茶は決して売らなかったといわれています。
一大勢力になるトワイニング
メアリーの息子であるリチャード・トワイニングは1771年に会社を引き継ぎました。リチャード・トワイニングはロンドンの紅茶販売業者のリーダーになって、当時の英国首相のウィリアム・ピットに紅茶に対して税金を減らすように説得しました。リチャード・トワイニングは、紅茶に高い税金をかけることは密輸を促進するだけで、税金を減らしたほうが政府にとって有益だろうと主張したのです。
その後、紅茶に対する税金は減らされました。これによって、紅茶は庶民にとって手ごろな価格になり、トワイニングの影響力があがることになりました。
1837年には、トワイニングはビクトリア女王から英国で最初に王室御用達の称号を受けました。
トワイニングとアールグレイティー
1835年頃、トワイニングからアールグレイが発売されました。アールグレイはトワイニングというブランドの看板ともいえるでしょう。現在、アールグレイをベースにしたレディグレイ も評判のようです。
紅茶以外に、ハーブティーや中国茶、緑茶など品揃えが豊富なのがトワイニングの特徴です。
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